เข้าสู่ระบบ王都リオネールを出発して、半日が過ぎていた。
馬車は石畳の街道を離れ、北へ向かって進んでいる。
窓の外には緩やかな丘陵が広がり、その先には深い森が横たわっていた。
クラリッサは膝の上で手を重ね、流れていく景色を静かに見つめる。
覚悟はしていた。
けれど胸の奥は、不思議なほど空っぽだった。
生まれ育った王都も、家族も、婚約者も、居場所も――すべて失った。
それなのに涙は出ない。
現実として受け止めるには、まだ心が追いついていなかった。
「……お嬢様」
向かいに座る護送兵が遠慮がちに声をかける。
「お体は大丈夫ですか」
「ええ。ありがとうございます」
小さく微笑むと、兵士は気まずそうに目を伏せた。
「我々は命令に従っているだけです」
「分かっています」
クラリッサは再び窓の外へ視線を戻す。
誰も悪くない。
そう思わなければ、自分が壊れてしまいそうだった。
やがて日が傾き始める。
森が近づくにつれ、妙な静けさが辺りを包んだ。
鳥のさえずりは聞こえず、風さえ止まったように感じる。
馬が落ち着きを失い、小さく鼻を鳴らした。
「……止まれ」
護送隊長が低く命じる。
周囲には濃い霧が立ち込めていた。
「おかしい」
「隊長?」
「この辺りで霧など出ない」
兵士たちが一斉に剣へ手をかける。
張り詰めた空気が流れた。
次の瞬間だった。
ヒュンッ!!
一筋の矢が霧を裂く。
「敵襲!!」
護送兵の肩を矢が貫いた。
「ぐあっ!」
馬が暴れ、馬車が大きく揺れる。
悲鳴が響き、霧の中から黒装束の集団が姿を現した。
一人や二人ではない。
十数人。
全員が無言のまま剣を構えている。
まるで感情を持たない人形だった。
「迎え撃て!」
護送隊長の号令と同時に剣戟が響く。
しかし敵は異様なほど強かった。
「くっ……!」
一人、また一人と護送兵が倒れていく。
「ありえない……!」
隊長は歯を食いしばった。
「追放命令だぞ!」
剣を受け止めながら叫ぶ。
「国外へ出せば済むはずだ!」
敵は何も答えない。
返事の代わりに、鋭い刃が振り下ろされた。
「なぜ殺しに来る!!」
「お嬢様! 逃げてください!」
その瞬間だった。
頭の奥に文字が浮かぶ。
【アナスタシス・コード起動:失敗】
【覚醒条件:未達】
(誰なの……)
護送兵に背中を押され、クラリッサは森へ駆け込んだ。
枝が頬を掠める。
足元はぬかるみ、何度も体勢を崩しかける。
息が苦しい。
(どうして……)
(どうして私を……)
カキィン!!
鋭い金属音が霧を切り裂いた。
振り下ろされた暗殺者の剣が、大きく弾き飛ばされる。
思わず顔を上げたクラリッサの視界に、一人の青年が映った。
月光を溶かしたような銀青色の髪。
深い冬の湖を思わせる蒼い瞳。
整った容貌は冷ややかで、近寄りがたいほどの気品をまとっている。
黒い外套が風に揺れ、その姿は夜霧から現れた騎士そのものだった。
「そこまでだ」
低く落ち着いた声。
その一言だけで、場の空気が一変する。
暗殺者が飛びかかる。
しかし青年は一歩も動かなかった。
銀の軌跡が閃く。
次の瞬間、暗殺者の剣だけが宙を舞い
勝負は、すでに終わっていた。あまりにも速い。
目では追えなかった。「制圧しろ」
短い命令が飛ぶ。
その声に応えるように騎士たちが一斉に動き出した。
誰一人迷わない。
その姿だけで、青年がどれほど厚い信頼を集めているのかが伝わってくる。
クラリッサは呆然と呟いた。
「……第二王子殿下?」
「説明は後だ」
彼は森の奥を警戒したまま口を開く。
「君は今、殺されかけた」
その言葉に、全身から力が抜けた。
張り詰めていた緊張が解け、初めて指先が小さく震えていることに気づく。
「そして暗殺者は、私が第二王子だと知っても怯まなかった」
エルネストは静かに目を細める。
「つまり、我々を亡き者にすると都合のいい者がいる」
その言葉は重かった。
王都で何かが起きている。
そんな予感だけが胸に残った。
その夜、一行は森を抜け、小さな宿営地を築いた。
焚火の橙色の炎がエルネストの横顔を照らす。
冷たい印象の顔立ちなのに、
炎に照らされた睫毛だけが不思議なほど柔らかく見えた。「襲撃者の身元は不明だった」
書板を見ながら彼は言う。
「紋章もない」
「所属を隠しているのですね」
「ああ。だが組織的な犯行だ」
クラリッサは毛布を握り締めた。
「……私のせいですね」
「違う」
即答だった。
思わず目を瞬かせる。
エルネストは真っ直ぐ彼女を見る。
「君は被害者だ」
胸が熱くなる。
「ですが……私は罪人です」
「すでに裁かれている者が、なぜ殺されそうになる?」
返す言葉がなかった。
「矛盾している」
彼は静かに続ける。
「舞踏会で理紋が示した反応にも、改竄の痕跡があった」
感情ではなく論理。
それでも、その言葉は誰よりも優しかった。
「クラリッサ・ド・アルベリオン」
「はい」
「君を国外へ送ることは危険だ。王都へ戻すこともできない」
一拍置いて告げる。
「しばらく私の離宮で保護する」
「え……?」
見返りもなく守ると言われたことが理解できない。
「殿下にも危険が……」
「承知している」
エルネストは小さく笑う。
「迷惑など考えるな。すでに私も襲われている」
クラリッサは言葉を失った。
「社交界より研究室。舞踏会より図書塔。
変わり者の公爵令嬢――月日が経っても変わらないな」「まあ、失礼ですこと」
「少しは元気が出たか?」
その口調に、思わず小さく笑みがこぼれる。
「さあ、馬に乗るといい」
婚約者でもない王族に、ただ守られる。
そんなことが、自分にもあるのだろうか。
エルネストは静かに告げた。
「行き先はアルカディア離宮だ」
クラリッサは小さく頷いた。
◇
アルカディア離宮。
王都北西の高原に建てられた、王国再生計画の拠点である。
栽培不可能な青薔薇を育てるために築かれた場所だったが、
計画の凍結とともに長く忘れ去られていた。「……噂だけは聞いたことがあります。『青薔薇の離宮』と」
クラリッサが呟く。
エルネストは静かに頷いた。
「今は私の研究施設として使っている」
クラリッサは茜色の空を見上げた。
追放されてから初めてだった。
胸の奥に、ほんの小さな希望が灯ったのは。
「……ありがとうございます」
エルネストは立ち止まり、静かに首を振る。
「礼は不要だ」
そして真っ直ぐ前を見据えた。
「まだ何も終わっていない」
一拍置いて続ける。
「むしろ――ここから始まる」
茜色の空がどこまでも広がっていた。
失ったものは大きい。
それでも、もう一度歩き出せるかもしれない。
クラリッサは、その小さな希望を胸に抱きながら、
アルカディア離宮への道を歩き始めた。王都リオネールを出発して、半日が過ぎていた。 馬車は石畳の街道を離れ、北へ向かって進んでいる。 窓の外には緩やかな丘陵が広がり、その先には深い森が横たわっていた。 クラリッサは膝の上で手を重ね、流れていく景色を静かに見つめる。 覚悟はしていた。 けれど胸の奥は、不思議なほど空っぽだった。 生まれ育った王都も、家族も、婚約者も、居場所も――すべて失った。 それなのに涙は出ない。 現実として受け止めるには、まだ心が追いついていなかった。「……お嬢様」 向かいに座る護送兵が遠慮がちに声をかける。「お体は大丈夫ですか」「ええ。ありがとうございます」 小さく微笑むと、兵士は気まずそうに目を伏せた。「我々は命令に従っているだけです」「分かっています」 クラリッサは再び窓の外へ視線を戻す。 誰も悪くない。 そう思わなければ、自分が壊れてしまいそうだった。 やがて日が傾き始める。 森が近づくにつれ、妙な静けさが辺りを包んだ。 鳥のさえずりは聞こえず、風さえ止まったように感じる。 馬が落ち着きを失い、小さく鼻を鳴らした。「……止まれ」 護送隊長が低く命じる。 周囲には濃い霧が立ち込めていた。「おかしい」「隊長?」「この辺りで霧など出ない」 兵士たちが一斉に剣へ手をかける。 張り詰めた空気が流れた。 次の瞬間だった。 ヒュンッ!! 一筋の矢が霧を裂く。「敵襲!!」 護送兵の肩を矢が貫いた。「ぐあっ!」 馬が暴れ、馬車が大きく揺れる。 悲鳴が響き、霧の中から黒装束の集団が姿を現した。 一人や二人ではない。 十数人。 全員が無言のまま剣を構えている。 まるで感情を持たない人形だった。「迎え撃て!」 護送隊長の号令と同時に剣戟が響く。 しかし敵は異様なほど強かった。「くっ……!」 一人、また一人と護送兵が倒れていく。「ありえない……!」 隊長は歯を食いしばった。「追放命令だぞ!」 剣を受け止めながら叫ぶ。「国外へ出せば済むはずだ!」 敵は何も答えない。 返事の代わりに、鋭い刃が振り下ろされた。「なぜ殺しに来る!!」「お嬢様! 逃げてください!」 その瞬間だった。 頭の奥に文字が浮かぶ。【アナスタシス・コード起動:失敗】【覚醒条件:未達】(誰なの……) 護送兵に背中を
王宮の回廊は、異様なほど静かだった。 ほんの数刻前まで、舞踏会の音楽が響いていたとは思えない。 床に敷かれた赤い絨毯の上を、クラリッサは一人で歩いていた。 誰も声をかけない。 誰も視線を合わせない。 すれ違う使用人たちは、慌てて頭を下げるだけだった。 まるで、存在そのものに触れてはいけないかのように。(……終わったのね) その言葉が胸の奥に落ちる。 不思議と涙は出なかった。 泣くには、まだ現実感が足りない。 ただ、頭の中だけが真っ白だった。 王都追放。 アルトリウスとの婚約破棄。 社交界からの永久追放。 王都立ち入り禁止。 すべてが一夜にして決められた。 部屋へ戻ると、すでに荷造りが始まっていた。 侍女のソフィアが泣きながら服を畳んでいる。「お嬢様……」「ソフィア」 声をかけると、彼女は慌てて涙を拭った。「申し訳ございません……」「どうして謝るの?」「せめて、お供だけでも……と思ったのですが、 許されませんでした」 クラリッサは首を横に振った。「あなたが謝ることではないわ」 ソフィアは唇を噛みしめる。「でも、お嬢様は何もしていないのに……」 その言葉に胸が痛んだ。 そうだ。 何もしていない。 少なくとも、自分ではそう思っている。 けれど、国中が違うと言っている。「大丈夫よ」 そう言って微笑む。 それしかできなかった。 すると、廊下から足音が聞こえた。 老執事グレイスだった。「お嬢様」「グレイス」 彼は深々と頭を下げる。「馬車の準備が整いました」「……もう?」「はい」 あまりにも早い。 まるで、最初から準備されていたようだった。 その時、グレイスが小さな箱を差し出した。「こちらを」「これは?」「お嬢様がお使いになっていた羽根ペンです」 見慣れた白い羽根。 幼い頃から使っていたものだった。「ありがとうございます」 受け取った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。 すると。 ――ピクリ。 頭の奥が微かに痛んだ。(……え?) 一瞬だけ、視界の端に文字が浮かんだ気がした。【記録保存】 だが、次の瞬間には消えている。 けれど、消えたはずの文字の輪郭だけが、 まだ目の奥にうっすらと残っている――そんな感覚があった。「……?」「お嬢
第一王子アルトリウスが、 クラリッサの瞳を見なくなったのは―― 学園祭の夜からだった。 表面上は何も変わっていない。 けれどクラリッサには分かっていた。 今夜の舞踏会が、決定的な転機になると。 ◆ 王立宮殿、大広間。 冬の終わりを告げる最後の舞踏会は、今夜も華やかな光に満ちていた。 千の蝋燭が黄金の天蓋を照らし、弦楽器の調べが夜を彩る。 貴族たちの笑い声が重なり合い、その中心には一人の令嬢がいた。 クラリッサ・ド・アルベリオン。 紅のドレスを纏うその姿は、誰の目にも気高く美しい。 王国屈指の名門アルベリオン公爵家の長女。 そして第一王子アルトリウスの婚約者。 誰もが思っていた。 いずれ彼女は王妃になるのだと。 ――少なくとも、この瞬間までは。 クラリッサは広間を静かに見渡した。 視線が集まることには慣れていた。 だが今夜の視線は、いつもと少し違った。 値踏みするような目。 哀れむような目。 何かを知っていて、知らぬふりをしているような目。 噂は、既に広まっているのだろう。 それでもクラリッサは背筋を伸ばした。(最後まで立っていなければ) アルベリオン公爵家の令嬢として。 理を守る者として。 給仕からグラスを取ろうとした、その瞬間―― 誰かの肩が、かすかに触れた気がした。「マリア!」 広間を裂くように、アルトリウスの声が響いた。 楽団の演奏が止まり、ざわめきが凍りつく。 階段の下に、一人の少女が倒れていた。 聖女マリア・ルヴィエール。 純白のドレスがこぼれた葡萄酒を吸い込み、赤い花のように染まっている。 震える指先。 青ざめた顔。 今にも泣き出しそうな表情。「……殿下、私は大丈夫です……」 その姿に、会場の空気が一気に傾いた。「聖女様を突き落としたのか?」 「まさか……」 「アルベリオン嬢が?」 囁きが広がる。 クラリッサは静かにその光景を見つめた。 驚きはなかった。ただ胸の奥に冷たい確信だけが走る。(来た) その時―― マリアの胸元に刻まれた聖紋が淡く光った。 黄金色の光。 会場から息を呑む音が漏れる。「理紋が反応している……」 「王家の理紋は真実を語る」 王宮内の偽証に反応し、罪を暴くと伝えられる王家の秘跡。 だがクラリ